吹奏楽で聴くクラシック音楽 第1回

ティーダ出版×若手作曲家・石原勇太郎氏によるコラムが登場!
作編曲家・音楽学者と多方面から音楽を見つめる石原氏に
吹奏楽・アレンジ作品を吟味するたいへん興味深いコラムをかいていただきました。
アレンジ作品大歓迎のアナタも、「ちょっとなあ…」とお感じのアナタもぜひ一度ご覧ください。
これまでの価値観が変わるかもしれませんよ…?!

こんにちは、石原勇太郎です!
はじめましての方も、そうでない方もいらっしゃると思いますが、簡単に自己紹介させていただこうと思います。私、石原は作曲や編曲(これらの作品の多くは、ティーダ出版さんで出版していただいています!)はもちろんですが、普段は「音楽学」という分野で、音楽の研究に努めています。そのこともあり、今回ティーダ出版さんで企画された、このようなコラムを担当させていただくことになりました。浅学非才な私ですが、どうぞよろしくお願いいたします!

さて、このコラムでは、題名の通り「吹奏楽」の編成で聴くことのできる、いわゆる「クラシック音楽」を紹介していきます。しかし、それだけでは、ただの「名曲案内」。このご時世、少し検索すればWEB上で立派な「曲目解説」を読むこともできるでしょうし、わざわざ私が執筆する必要もありません。そこで、このコラムでは、ティーダ出版さんで出版されている、クラシック音楽の編曲作品―いわゆる「アレンジ物」―を取り上げ、「編曲」という視点から、その作品の魅力に迫っていこうと思います!

「アレンジ物なんて…原曲の良さにはかなわないよ…」そんな声が聞こえてくる気もしますが…

吹奏楽の世界では、いまだ議論の的になっている「アレンジ物」を取り上げるのは、少々勇気がいるかもしれません。しかし、逆に考えてみてください!

編曲された結果、原曲とは違った側面が、私たちの前に姿を現すかもしれません。時には、原曲とは違ったとしても、新しい魅力的な響きの可能性に出会うこともあるでしょう。そして何より、編曲という行為の美しさは「編曲者」の存在にあります。

吹奏楽のために編曲されるような作品は「編曲してでも演奏したい!」と私たちに思わせる、強い魅力を放つ作品がほとんどです。そして、そんな魅力的な作品の作曲者は、いわゆる「巨匠」「大作曲家」なのです。そのような作品を編曲する時、「編曲者」は、偉大な人物によって創造された、難解な構築物へと挑む、「挑戦者」となります。時に、巨大な存在である「作曲者」とその創造物の重圧に負けそうになりながらも、「編曲者」は自身の創造性を武器に、作品を「吹奏楽」の形態へと書き変えてゆくのです。このプロセスは、とてもスリリングで神秘的です。

「作曲者」と「編曲者」の創造性のぶつかり合い、そして、そこから生まれてくる「アレンジ物」の魅力―ここまでくれば、このコラムでわざわざ「アレンジ物」を取り上げる理由もわかっていただけたのではないでしょうか?

前置きが長くなってしまいましたが、第1回目なので許されると信じて…早速最初の作品に取り掛かることにしましょう!最初に取り上げる記念すべき作品はこちら!!

アントン・ブルックナー(編曲:石津谷 治法)
《交響曲第8番 ハ短調》より最終楽章

これぞ第1回目に相応しい記念碑的作品、ロマン派後期を代表するオーストリアの作曲家、アントン・ブルックナー(1824 – 1896)の《交響曲第8番》です。ブルックナーの交響曲は11曲残されていますが、最後に書かれた《交響曲第9番》は、ブルックナーの死によって未完となってしまいました。そのため、この
《交響曲第8番(以下第8番と表記)》こそ、ブルックナーが完成させた、最後の交響曲なのです!

音楽を聴く時や、合奏をする中で、「この音楽はこういうイメージ」という印象を作り上げて、音楽を理解する方も多いのではないでしょうか。作曲家の中には、「これは○○にインスピレーションを受けて作曲した」とか、「この作品は○○を描いているのだ」というように、自作についての解釈を語ってくれるタイプがいます。しかしブルックナーは、その音楽の内容を語ることを積極的にするタイプではありませんでした。

そんなブルックナーですが、珍しく《第8番》では、そのイメージを友人に宛てた手紙の中で語っているのです。その手紙の一部を見てみましょう。


Im 1. Satze ist der Tromp[eten] u[nd] Cornisatz aus dem Rhythmus des Thema: die Todesverkündigung, die immer sporadisch stärker endlich sehr stark auftritt, am Schluß: die Ergebung. Scherzo: H[au]p[t]th[ema] : deutscher Michel genannt; in der 2. Abtheilung will der Kerl schlafen, u träumerisch findet er sein Liedchen nicht; endlich klagend kehrt es selbes um. Finale. Unser Kaiser bekam damals den Besuch des Czaren in Olmütz; daher Streicher: Ritt der Kosaken; Blech: Militärmusik; Trompeten: Fanfaren, wie sich die Majestäten begegnen. Schließlich alle Themen; (komisch), wie bei Tannhäuser im 2. Akt der König kommt, so als der deutsche Michel von seiner Reise kommt, ist Alles schon in Glanz. Im Finale ist auch der Todtenmarsch u dann (Blech) Verklärung.

(Harrandt,A. & Schneider,O. (2003) “Briefe: Band II 1887-1896.” Vienna:
Musikwissenschaftlicher Verlag. 114.)

第1楽章において、主題のリズムで作られるトランペットとホルンの楽節は、「死の宣告」です。これは少しずつ強くなり、ついには強烈に現れることになります。そして、
[第1楽章の]最後はあきらめなのです。スケルツォの主要主題、これはドイツのミヒェル[愚直な善人]と名付けました。2つ目の部分で、ミヒェルは眠ろうとしますが、彼は夢の中での自分の歌を見つけることができません。結局、ミヒェルは、嘆きながらも起き上がるのです。最終楽章、私たちの皇帝は、当時オルミュッツで、ツァーリ[ロシア皇帝]の訪問を受けました。なので、このことに由来して、弦楽器群はコッサクの騎行、金管楽器群は軍楽、そしてトランペットは皇帝たちの荘厳なる会談のファンファーレ[を示す
の]です。《タンホイザー》の第2幕で王が登場する時のように、ドイツのミヒェルが旅から帰還する[最終楽章の]最後には、すべての主題が(滑稽ではありますが)、輝きのうちにあるのです。最終楽章にはまた、死の行進もあり、(金管楽器群による)その変容[浄化]もあります。(執筆者訳)


この手紙は、《第8番》の初演を担当する予定だった指揮者フェリックス・ヴァインガルトナーに宛てて、1891年1月27日に書かれたものです。とても難しく難解な作品と言われていた《第8番》
を、わかりやすく理解してもらうために、ブルックナーが物語を説明したとも考えられるかもしれませんね(その割に、内容はなんだか小難しい…)
さて、今回見るのは、最終楽章、つまりブルックナーの言葉を借りれば「オーストリアの皇帝とロシアの皇帝が出会い、すべてが輝きの中に照らし出される」楽章です。編曲者は、吹奏楽の世界では知らない方はいないであろう市立習志野高等学校吹奏楽部の名顧問・石津谷治法先生です。まず、この編曲の演奏を聴いてみてください!

さて、この編曲の一番良いところはなんでしょうか。石津谷先生の得意とする大編成の吹奏楽のオーケストレーション?それとも、原曲通りの響きを生み出すための工夫でしょうか?

もちろん、そのような要素について語ることも十分可能なほど、手の込んだ編曲!ではありますが、ここではあえて「カット」についてお話ししましょう!

《第8番》の最終楽章は、原曲では30分近くかかるほど、規模の大きな作品です。しかし、すでに石津谷編曲版を聴いていただいた方はお分かりかと思いますが、この編曲の演奏時間はなんと11分半!!それもそのはずで、この編曲は2003年度の全日本吹奏楽コンクール全国大会で、3出制度によって出場がお休みだった習志野高校による特別招待演奏のために作られたものだからです。

「30分」の曲を半分以下の「11分半」にするなんて、カット大反対の派閥に属する方々からしたら、話にならない!かもしれません。しかし、少し落ち着いてそのカットを見てみると、実はブルックナーが先述の手紙で書いている内容は、十分伝わるということに気がつきます。まさに「良いとこ取り」の編曲と言えます!

石津谷編曲版では、おそらくレオポルト・ノヴァーク校訂による「1890年稿」を使用して編曲が行われています。(ブルックナーには、ひとつの曲に複数の
「稿」、つまり基本的な中身は同じですが外見が変わる(まるで整形ですね…笑)ものが残されている場合があります。《第8番》の場合は2つの稿が残されていて、石津谷編曲版では2つ目の稿を使用しています(編曲と楽譜の関係については、またの機会にお話ししましょう)。)ですので、ノヴァーク版の1890年稿のスコアの小節番号で言えば、大きくカットされているのは253小節から580小節までです。これは、提示部の終わりから、再現部の第2主題群の再現終わりまでに当たります。つまり、作曲家の腕の見せ所とも言える展開部は丸々カットされています。しかし!それでも!石津谷編曲版《第8番》では、原曲の良さは十分に伝わってくるのです。

冒頭、ブルックナーは「弦楽器群はコッサクの騎行、金管楽器群は軍楽、そしてトランペットは皇帝たちの荘厳なる会談のファンファーレ」と先程の手紙に書いています。石津谷編曲版では、弦楽器群はクラリネット属とサクソフォン属、そしてマリンバを中心に置き換えられています。軍楽を示す金管楽器群や、トランペットのファンファーレはそのままです。一見すると、弦楽器か木管楽器群かの違いだけですが、ここで注目したいのは「軍楽」を示す金管楽器群。

オーケストラでは、金管楽器は基本的にひとつのパートに対して奏者は1名です。しかし、吹奏楽の金管楽器は、ひとつのパートに対して奏者が複数いる場合が多いですよね。その結果、石津谷編曲版の冒頭部分は、私たち聴き手に恐ろしいほどの圧をかけてくることになります。コサックの騎行も、木管楽器群とマリンバが担当することで、吹奏楽器独特の空気感も加わり、ロシアの凍てつく大地に馬の駆ける音を轟かせ登場する、コサックたちの力強さが目に浮かんでくるのではないでしょうか。これは、吹奏楽に編曲したことで、原曲の魅力が強化された例と言えます。

そして、もうひとつの魅力がコーダの終わり、つまり曲全体の終結部分にあります。ブルックナーが「全ての主題が輝きのうちにある」と書き残したように、《第8番》の終結部分(石津谷編曲版では練習番号52以降、原曲(ノヴァーク版1890年稿)では練習番号Zz以降)では、《第8番》の全ての楽章の主要主題が垂直に重なります。残念ながら、石津谷編曲版は最終楽章である第4楽章のみの編曲なので、この部分で重なる主題が、前の楽章と関係していることには、気が付かないかもしれません。

しかし、私はこの終結部分に魅力があると言いました!

その魅力とは、「全ての主題がほとんど同じ音量で聴こえてくる」ことです。原曲では、第1楽章の主要主題を低音楽器群、第2楽章の主要主題をフルートとクラリネット、1番トロンボーン、第3楽章の主要主題を1・2番ホルン、そして第4楽章の主要主題をオーボエとトランペット、ホルンで演奏します。つまり、オーケストレーションのバランスとしては、指揮者が上手くコントロールしない限り、それぞれの主要主題を明確に聴くことはできません。しかし、石津谷編曲版では、すべて管楽器という条件で、主要主題が割り振られているため、すべての主要主題が(嫌でも)明確に聴こえてきます。なるほど、これは吹奏楽でやるのも魅力的です。

残念ながらブルックナーの書き残した「金管楽器群の変容」は展開部がカットされたため、石津谷編曲版では聴くことはできません―しかし、そもそも「変容」のプロセスは最終楽章のみの問題ではなく、第1楽章から最終楽章までを通して存在するものなので(詳しく知りたい方は、 私の執筆した論文も読んでみてください…笑)、ここで「金管楽器群の変容」が聴き取れないのを責めるのはお門違いです。

「展開部を丸々カット」という、一見単純に見える石津谷編曲版のブルックナー《第8番》ですが、よくよく見てみれば、その音楽の魅力は十分に伝わる上、場所によっては原曲では気が付けなかった魅力に気付かされることもあります。

「重厚長大」こそが美とされる風潮のあるブルックナーの交響曲ですが、《第8番》の魅力的な部分をピックアップした石津谷編曲版の最終楽章も、間違いなくブルックナーの音楽のひとつの側面を映し出しています(それに、個人的には教育的な側面もあると強く感じています。このお話もまたの機会に…)。

石津谷編曲版の《第8番》最終楽章を聴いて、原曲の《第8番》最終楽章を聴いてみる。そして、またもう一度、石津谷編曲版を聴いてみる、今度はさらに《第8番》の第1楽章から聴いてみる。そんな風な聴き方もできるかもしれません。

原曲だけではできない、このような聴き方、もしかしたら嫌がるクラシックファンの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、音楽の聴き方は自由です。そして、このような聴き方が、新しい魅力に気付かせてくれることもあるかもしれません。現に、もう何百・何千回と《第8番》の原曲を聴いてきた私でも、石津谷編曲版を面白く聴き、改めて楽譜と向き合う場面がありました。

吹奏楽の「アレンジ物」を鑑賞・考察する。そんな突拍子もないようなこと、たまにはしてみても良い気がそろそろしてきませんか?

「いや、まだまだ…」という方も、ぜひ色々なツッコミを入れつつ、本コラムを読んでいただければと思います。皆さんの新しい世界を啓く手助けになる、かもしれません!

第1回はいかがだったでしょうか。すでにお気づきかと思いますが、私はブルックナーの作品を研究の中心としています。ですので、まだまだ《第8番》について語りたいこと、たくさんあります(笑。それに、石津谷編曲版《第8番》にも、まだまだ見どころはたくさんありますが、それはまたの機会にとっておくことにしましょう。

ともかくも、ブルックナーという吹奏楽の世界では聴くことの少ない作曲家に、少しでも興味を持っていただければ嬉しいです!できれば、演奏もしてみてください!他の人の演奏を聴いて、今度は自分で演奏してみる。これ以上ないほど贅沢な音楽体験です。

次回は、どの作品を取り上げるか、まだ決めかねていますが、楽しみにしていてくださいね!

それでは!

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